私の名はルルカ、旅芸人の娘。
車輪が回る、くるくる回ってがたごとと揺れる。
ルルカと父さんを乗せて馬車は走ってる。
通り過ぎていく景色は変わり続けるけど、青い空はどこまでも続いている。
次はどんな街なのと父さんに尋ねると、人がいっぱいいて、赤い屋根がどこまでも続く街だよと答えた。
ルルカは唄を歌います。
ルルカはダンスを踊ります。
ルルカはフルートを吹きます。
でも、お料理はちょっと下手です。
ご飯はいつも父さんが作ります。
夕焼けの向こうに小さな村が見えてきました。
今日はあの村の外れの軒先でも借りようかと父さんは言った。
馬車をゆっくり近づけさせると、賑やかな声と音楽が聞こえてくる。
今日はこの村のお祭り、収穫祭でした。
旅路には、たまにこんな幸運があるのでした。
明るい炎がぱちぱちと薪を鳴らして、ルルカと父さんは小さな舞台に立ちます。
こんなに沢山の人達の前で芸をするのは初めてです。
父さんが、初舞台に渡してくれたのはフルートでした。
お母さんがルルカに残してくれた形見の品でした。
ルルカが大好きな曲を吹くと、みんなが肩を繋いで踊り始めました。
楽しい日は過ぎる時間も早く感じるようです。
何度もアンコールの声が上がって、酔っ払った旦那さんの耳をつまむお上さんもどこか楽しそうでした。
ルルカは何度でもリクエストに応えてから、父さんの合図で退場しました。
一晩の楽団の代賃の代わりに、馬屋をしている人の家の納屋を貸してもらいました。
今夜は冷たい風と夜空の星ではなく、藁に温もりのある部屋で、くたびれてた二人は、すぐに睡魔に襲われぐっすりと眠りこけました。
朝起きると、ルルカは暖かい布団に包まっていました。
目の前に父さんの広い背中、父さんは暖炉に薪を入れて火を炊いています。
鍋にはスープが金色に輝いて、食欲をそそる匂いが漂ってきました。
扉が開いて、「おはよう! よく眠れたかい」と、この家のお上さんが挨拶をしました。
その後ろに、扉の陰に隠れるようにして、一人の女の子が部屋を覗き込んでいました。
その子はとても愛らしい女の子でした。
父さんはお上さんと何かお仕事の話を始めました。
ルルカは手持ち無沙汰です。
その子は少し詰まらなそうに真新しい木靴を床の上で踏んでいます。
「やっほー」と、ルルカは頭に手を当てて、ウサギさんの挨拶をしました。
頭の上で、兎の耳の形をした手が揺れています。
「や、やっほー?…」
戸惑った女の子は一歩後ろに下がって、扉の向こう側に隠れてしまいました。
「ルルカです!」と、ルルカは顔を上げて、丸くて赤いほっぺに指を当てて自己紹介をします。
その子はルルカから少し離れた距離… 扉から半分顔を覗かせながら、「リタリ」と小さな声で名乗りました。
部屋の中の話はまだ終わらないようです。
ぼそぼそと低い父さんの声とお上さんの声が聞こえますが、何を話しているのかわかりません。
商売のときだけ使われるジプシーの言葉で話しているのです。
ルルカはリタリの前まで歩み寄って、その手を取りました。
「遊びましょうよ。表に行こう!」とルルカが誘うと、リタリはおずおずと「こっち…」と、ルルカの手を握ったまま裏口から表に出ました。
外の空気は冷たくひんやりと頬を冷やします。
緑の木の下を二人の少女が通り抜けていきます。
旅の途中で、少し前まで遠くに見えていた山には白い雪が見えて、ルルカはずいぶんと近くにまで来ていたのだとその山の頂を眺めました。
「あの山ね… 全身の毛が真っ白な狼が出るのよ。真夜中に遊んでる悪い子を食べに降りてくるんですって」と、リタリがルルカの隣に立って言いました。
ルルカはこの村に来る前に、父さんから、あの山には精霊が住んでいるんだと聞いていましたので、リタリにそれを言うと、彼女は不思議そうな顔をしました。
旅をするという意味をこの国に住まう大半の人達は知りません。
それは、旅人、ジプシーとしての生き方を選んだ者達にしか越えられない、世界と世界の境界線を越えるという意味でした。
旅に出て、境界線を越えられなかった人は魔物に食べられてしまうのだそうです。
国と国を世界と世界を結ぶ境には、国を守る精霊が追い払った闇が溜まって魔物を生み出すのです。
ジプシーの民はそんな魔物から身を守る術を親から子へ伝えていくのが慣わしです。
すっかり茶色くなった落ち葉を二人の女の子が拾い集めています。
ルルカは欲張って、両手いっぱいに落ち葉を持つとスカートを広げて落ち葉を抱えて歩きました。
リタリは一枚二枚とゆっくり数えながら、ルルカのスカートから零れ落ちた落ち葉を拾い上げます。
その落ち葉を大きな切り株の上に広げると、二人は綺麗な形の落ち葉を探して没頭します。
言葉は少ないけれど、二人はどこか楽しそうに遊びます、それはどこにでも見られる女の子の遊びでした。
リタリが嬉しそうに赤に近い形も整った葉をより分けて手元に置きました。
「これあげる…」と、五枚の落ち葉をルルカに差し出しました。
「ありがとう!」太陽の光に透かして、その葉を持って掲げ見ると、柔らかな日の光が赤い光を手元に映します。
「お呪い… 五枚の葉っぱを持ってると山の神様が守ってくれるんだよ」
「じゃあ、リタリの分はルルカが選んであげる」と、木の株の上の落ち葉の中から、形のよい葉を探して五枚選んでリタリに渡しました。
ポケットに葉っぱを入れて二人は家に向かって歩き出します。
木々の向こうに見える離れの小屋で、父さんが頬杖をついてのんびりとしている姿が見えました。
お上さんとの話はもう終わったのでしょう。
父さんはルルカに気がついているのか、気がついていないのか、遠目にはわかりません。
「リタリ、また後でね!」と手を振って、父さんのいる所までルルカは思い切り走りよると、その大きな腕を広げた父さんがルルカを抱きかかえて肩車をしました。
温めなおしたスープ、皿に装われたシチューをこぼさないようにルルカはテーブルに運びます。
「ルルカ、森で何をしてきたんだい?」と、父さんが聞きました。
「秘密!」と元気良くルルカは答えると、空腹を満たすために木のスプーンを握ってフーフー冷ましながらパンの上にかけてかぶりつきました。
スカートの中には五枚の赤い葉がかさりと音を立てます。
「しばらくこの町に留まる。嵐が最近峠に激しいらしい。何隊かのキャラバンが峠越えに失敗したらしい。俺達は次の商隊がやってくるまでここに留まって、連中がきたらここを離れる」父さんのこの言葉はつまり、何ヶ月かかるかわからないという意味でした。
父さんとお上さんが話していたのは、女の子連れで冬の峠を越えるのは厳しいから、次のキャラバンが通るのを待つか、春までこの地に留まるかという話でした。
いくら旅慣れた旅人や商人も、あの山の峠は難所で知られているので、単独で越えようとする人はいません。
その春を待つまでの間、父さんは馬屋の馬を借りて行商にいって、この村の特産品の宣伝をして歩くのです。
「ルルカは学校に行くんだよ」と、父さんが言いました。
ルルカは物心ついたころから父さんと旅をしているので、学校というものに行ったことがありませんでした。
リタリはルルカと同じ学校に通うことになって一番喜びました。
だって、それまでリタリと同じ年頃の女の子が学校にいませんでしたから、二人はずっと今まで友達だったかのように仲良く手を繋いで学校に登校しました。
お上さんが客間をルルカの部屋として使うように準備してくれました。
父さんは仕事のために昨日の晩にはもう町を離れて、今頃はどこかで野宿でもしているのかもしれません。
ルルカは寂しくなると、フルートを取り出しては、森の切り株の所で夜空を見つめながらフルートを吹きました。
くるりくるりとスカートが舞います。
学校に通うために、お上さんがリタリのスカートと似た色の布地を選んで、制服用のスカートを縫ってくれました。
まだ仮縫いですが、ルルカはじっとしているのが耐え切れなくなって、さっそく試しに履いてみました。
鏡の向こうに地味な制服を着た自分が映っていました。
ルルカは何度も鏡と睨めっこしてから、笑ったり、怒った顔をしたり、頬を膨らましてから、すっかり飽きてしまうと、窓の外の風景を眺めて、同じ空の下にいる父さんのことを思いました。
お互い、そっくりなお揃いの服を着て、リタリがルルカの手を握って学校までの道を歩き出しました
ルルカの通うことになる学校は、リタリの家から歩いて一時間ほどかかります。
《アルト・ノイーシェ・ヴィレッジ》で唯一の学校は山の麓の入り口にありました。
道沿いに流れるソイユ河を下ると《ノイーシュ・ヴィレー》という大きな町があります。
リタリが黙り込みがちになるルルカに話しかけながら、ルルカは元気がなく相槌と生返事を返します。
俯き加減のルルカにリタリはどう声を掛けていいのかわかりません。
リタリはルルカの笑った顔しか知りません。
どうしたら笑顔にすることができるのだろうかと、その細い眉毛に皺を寄せて考え込みました。
そのとき、ヤッホーという掛け声が後ろから聞こえてきました。
先頭を歩く二人の少女を見て、一人の少年が足早に、次第に駆け足になって追いかけてきました。
まだ雪の浅く積もった地面に面々と足跡が続いています。
「ルルカ! 走って」と、何のことやらわからないまま、ルルカはリタリに急かされて隣を走ります。
それにあの男の子は誰なのでしょう? リタリの知り合いなことは間違いありません、同じ紺色の制服を着ているし、年も近いようです。
「まぁてー…」と、次第に背に遠くから声が聞こえるだけになりました。
「嘘つきフォーカーよ。あの子と歩いてると、あたし達まで仲間だと思われちゃう」と、リタリは何かを思い出したようにくすくす笑い出しました。
白い息を散らして男の子が追いつきました。
ぜえぜえはあはあととても苦しそうです。
リタリはつまらなそうに腕を組んで溜息をつきました。
ルルカは楽になるようにフォーカー君の背中を擦ってやりました。
息も落ち着いて、顔に元気が戻ると、フォーカー君は鞄の中から布に包まれた一羽の雛を取り出して見せました。
弱弱しく手の中で動くその雛は、つぶらな瞳でルルカはすっかり心を奪われてしまいました。
「これどうしたの?」と、リタリがフォーカー君に聞きます。
「巣から落ちてたんだ。まだ飛べないし、ほら怪我もここにしてるだろ。先生に診てもらうんだ」
「この子助かる?」とルルカは尋ねます。
ルルカを見て怪訝そうな顔をしてから、フォーカー君は「ああ、助かるぜ。俺が拾ったんだからな」と胸を張って言いました。
小さな学校の真上にある尖塔の鐘が鳴り響いています。
《マドモアゼル》セントクレアが教室に入ると子ども達の姿が目に入ります。
「はい、皆さんおはようございます。今日も君達の元気な顔を見れて先生はとても嬉しく思います。今日は皆にお知らせがあります。今年の《ウィンター・ナッツ・シュガー》のお祭りの人形の担当が《アルト・ノイーシュ・ヴィレッジ》の子供達に決まりました」
と、《マドモアゼル》先生が言うと、先頭にいた子が僕が頭に入る! と言いました。
ずるいよ、お前は去年も勝手に入っただろうと別の子が言い出して、他の子達も勝手に喋り出しました。
何とか教室が静まると、「さあ、今日はお天気がいいから表で授業をしますよ。皆、外套とお弁当を持って行きましょうね。あら? ジャネットどうしたの」と、先生が言うと、ジャネットという子はお弁当ないのと小さな声で恥ずかしそうに言いました。
先生はジャネットの顔を見ながら、「じゃあ、先生と半分こにして食べましょうね。先生、サンドイッチ作りすぎてしまったの」と言うと、男の子達がからかうように、先生のサンドイッチデカイッチーと言って笑うと、こらーと、女の子の一人が男の子達に注意しました。
「行こう」とリタリが外套を羽織って立ち上がり、雛が入った布袋を注意深くサンドイッチを入れる箱の中に入れました。
我先に子ども達は表に駆けていって、少し遅れて《マドモアゼル》先生がついて行きます。
その後ろから、リタリとルルカとフォーカー君が遅れて歩きます。
生徒達を森に送り出してから、《マドモアゼル》先生がリタリ達を待ち受けていました。
「リタリさん、フォーカー君、そして、あなたがルルカちゃんね」と親しそうに声をかけてきました。
そうすると、バスケットに入れていた雛がぴよぴよ鳴き始めました。
「あらあら、悪戯小僧が鳴いているわね」と言う後ろで、リタリがフォーカーにあっかんベーをしました。
「この子はどこで拾ってきたんです。ミスター・フォーカー?」「ルーアンの木下で落ちてたんだ」
「見せて御覧なさい」と、《マドモアゼル》は優美な物腰で覗き込むと、ピィピィ鳴く雛を観察しました。
「お腹が減っているようね。翼の傷はちゃんとしていれば治ります。添え木を当てるのよ。あと保険教官室から塗り薬を貰って来なくちゃね」と、どこかうきうきした様子で先生が言いました。
リタリがルルカにそっと囁きました。
「《マドモアゼル》セントクレア先生はお医者さんの娘さんで獣医さんなのよ!」と言うと、笑いを堪えて言葉を噛み殺しました。
女の人が医者で、獣医であるというのはこの近辺でも相当変わったお話でしたし、《マドモアゼル》と呼ばれるからには貴族の娘さんであることを示していました。
ルルカが恐る恐る雛の前にエサを差し出すと、旺盛な食欲を示して、エサに貪りついて平らげてしまいました。
「な? ミミズ食っただろう。ほれもう一個」と、フォーカー君が素手でミミズを摘んで雛の前に突き出します。
狙い済ました嘴が勢いあまってフォーカー君の指を齧りました。
「この鳥、何の雛かな?」と、リタリがじぃっと雛を見ながら言いました。
「鶏じゃないね」とフォーカー君、「とんびでもないわ」とリタリ、「鷹よ!目が格好いいもん」とルルカが言い、口々に三人は主張しあいました。
「さあ君達! オチビちゃんのお世話が終わったかしら? その子をちゃんと巣に戻してくるのが今日の君達の宿題ですよ」と《マドモアゼル》先生が言うと、周りにいた子らが残念そうに声を上げました。
「巣に返しちゃうの?」と、リタリが言うと、先生は微笑んで言いました。
「誰しも帰るお家があるものです。雛は親がいないと生きていけません。その子のことを君達が全部して上げられないでしょう? その子がちゃんとした大人になるために巣に戻して上げるのが一番なのよ」
「帰る場所…」その言葉はルルカには何故かとても重い響きになって、学校の鐘のようにりんりんと、胸のうちにびんびんと聞こえました。
「ルルカ?」と、リタリが隣の席のルルカの様子に気がつきました。
俯いていた様子から、雛の入っているバスケットを抱えてルルカは教室から飛び出しました。
どこまで走ったのか… いつの間にか、ルルカは森の中にいました。
見回しても人の気配はありません。
鼻をしゃくり上げて空を見上げると、一羽の鷹が何度も木の上を旋回しながら鳴いています。
手元のバスケットの中で雛が鳴いています。
そしてルルカはあれがこの子のお母さんなんだと、不思議なくらい自然に理解していました。